三重県 伊賀市在住。
とうやの歌は「世界観」といわれます。
音も言葉も、むずかしいことを どんどん削ぎ落していったら、それがわたしのリアルです。
あなたの中に、どんな景色を映すのか、体感してください。
以前 古本屋の店長さんは、
『日常の中に垣間見える細やかな感情のゆらめきや かすかな痛みを、やわらかな言葉ですくい取り、風に乗せる』
と、紹介してくださいました。
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ひだまりの野外ステージから、地下のどっぷりとしたライブバーまで。
とうやの歌は、とうやの歌のまま、そこに風景をつくります。
それは、あなたのこころ、自身だからです。
京都、奈良、滋賀、大阪・・・近畿を中心に、年間50本近いライブで歌いました。
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2013年夏、ふとした思い込みから、うたうたいを こころざしました。
それまでは、けっこう真面目に働く主婦をやっていましたので、みんなに突然なにを言いはじめるのだ!と言われましたけれど。
思い込みって こわいけど、強いのかもね。
どうぞ、これからも よいご縁を。
性格は、すぐに穴があったら入りたくなるので、スコップを常備していて、穴を掘っては入ろうとしています。
そして多くの場合、穴に入るまえに、掘って盛り上げた土にけつまづいてコケています。
「とうや伽緒、人生経験はそこそこあるのだけれど、音楽をやりはじめて日が浅いのですよ。」
ということを、いつまでも言い訳がましく言っております。
ま、ほんとうのことなのですが。
しかし、うたをつくって歌うという行為を、ここにきて初めてやったわけではありませんでした。
ずっとずっと前に、中島みゆきさんなどをコピーしながらギターを弾き、うたをつくってみたりしていました。
うたうことは好きでしたが、ライブをするとか、そんな発想はあまりないまま、日常生活の中に忙殺され、ギターはケースの中で長い眠りについたのです。
2012年、「名古屋でホントに内輪の企画ライブをやるんだけど、遊びに来ーへん?」という話がありました。
ここで、何をおもったか ふたつ返事で乗りました。出演する気をまんまんにしていました。
ギターケースのフタを開け、かつてのうたをエクセルで打ち直し、"とうや伽緒”というステージネームも、ほこりを払って手の平にのせました。
(この名前は、高校時代に作成したものです。)
ギターは、弦をゆるめないまましまってあったので、かわいそうに一本ネックが腰折れをおこしておりました。
新しいギターを買いました。
ライブの、次の予定なんて なーーーーんにもなかったのに、なんの迷いもなく、エレアコ(マイク内蔵ですよ。)を手にしました。
30分のステージ、セットリストを考えながら、どうしても最後にもってこられる歌がなくて、そうだ、つくろう、と思いました。
カバー曲でという選択は、なぜか浮かびませんでした。
なにかに押し流されるように、わたしの中で 「うたいたい熱」が再熱し、翌年、わたしはフルタイムの職場を離れさせていただきました。
2014年の秋に、車のドアに手をはさむ という失敗をし、それを機に、というか、しばらくウクレレを持ってうたっていました。
うちにウクレレが初めてきたのは、ずっとずっと前、正月に楽器屋さんの福袋に入っていたのが おもしろそうで 買って帰ったときです。
ま、おもちゃ みたいなものだし、と思いながら、ピッチパイプ(・・ああ、昔はそんなんあったなぁ)でチューニングを試みるものの、結局だめそうな気がして、長い長い眠りに入りました。
・・・話はつづく。の ですが、また そのうち気が向いたら更新します。
あまり真剣に待たないように お願いします。
なんか、最近 こんな調子。根気という言葉は、東京タワーの役割とともに わたしの中から薄れておるのであります。
車のドアに左手の人差し指の先をはさみ、血が出ただけだと思ったら 爪が浮き、骨はくだけ・・・という予想外の展開となり、さすがに絆創膏を貼っただけでは治らなかったけれど、怪我自体は3カ月ほどで治りました。
ウクレレは、残りの指3本で押さえて弾いていました。
怪我が治ってから、ギターを弾こうと 何度も何度も 出してはなんだか悲しくなって しまいこみ、出しては しまいこみ・・を繰り返しました。
わたしの勝手な思い込みとはいえ、ウクレレは「ま、だいたいで ええんちゃうん~」みたいな感じなのに、ギターのスティール弦は「だめだめ、そんなんじゃ!全然だめっ」って言われてる感じだったので。
2015年の夏に、ふとガットギターだったら どうだろう、と思いました。
ウクレレとおなじ(厳密には違いますよね)ナイロン弦だし。
そして、迷走を続けながら10カ月のブランクでもって、ギターを連れていくことにしました。
ウクレレ一本で歌うことも ずっと闘いではありましたし、そしてまた新しいギターが、わたしの相棒と呼べるようになるための 新たな闘いの始まりでもあると、そんなふうに思います。
ウクレレだった時と同様に、ガットギター(ナイロン弦)であるという特異さに救われて、というのか、楯のようにして、Fenderのエレガットを持って、たくさんの場所にゆき、歌いました。
その、じゃきじゃきしない感じが、曲の感じに合ってるよ、と言ってくださることも多かったです。
2017年になるあたりから、わたしの何が変わったわけではないつもりなのだけれど、わたしがナイロン弦弾く意味を問うような趣旨の言葉を受け取るようになりました。もしかしたら、単にそれまで聞こえていなかっただけかもしれません。物理的にも、気持ち的にも。
そしてまた、おそるおそる、スティール弦のギターに向き合い、その感触と音色と、反応に耳を凝らしてみています。
⇒途中報告:2017初夏
どうも、また自分の中ですったらもんだしつつ、
Fenderエレガットを連れて出ることが増えました。
鉄弦は、家で、しかし傍らに置きつつ。
2018.11.13(火)初のワンマンライブ、初の音源完成発表でした。
先出の、エレガットと鉄弦の右往左往の中、ワンマンが会場の特性上、完全生音開催で、シンボディのエレガットでは、無理だと判断せざるを得なくなり、ワンマン2か月前に、ウクレレ時代より以前にうちに来た、ドレッドノートスタイルの、嵩の高いテイラーギターを引っ張りだすことになりました。それは、とてもとても怖かったのですが、しかし、右往左往していた時間の経過とともに、まるで わたしを待っていたかのように、とてもとても、しっくりくるのでした。不思議なことに。